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偉人が愛したスイーツ織田信長が愛した南蛮菓子ケジャトフコラム

偉人が愛したスイーツ織田信長が愛した南蛮菓子ケジャト 織田信長が愛した南蛮菓子ケジャトイラスト
クリム ねえ、ドリム。本で読んだんだけど、織田信長の時代にはポルトガルからたくさんのお菓子が日本にやってきたんだって。
ドリム そうそう。金平糖やカステラもポルトガル生まれなのよ。
クリム 僕、その時代のお菓子を食べてみたいな。
ドリム じゃあ、織田信長が生きていた16世紀の戦国時代にゴー!ね。
ペロン ワン、ワン。

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クリムの紹介偉人が愛したスイーツ ドリムの紹介偉人が愛したスイーツ ペロンの紹介偉人が愛したスイーツ
偉人が愛したスイーツマリーアントワネットが愛したクグロフ
宣教師がもたらした南蛮菓子
 戦国時代を代表する武将、織田信長。1582年に本能寺の変で命を落としてからすでに400年以上もの時が経過していますが、いまも人気は高く、NHKの大河ドラマでは何度も取り上げられ、ゲームソフト会社コーエーから発売されているゲーム「信長の野望」シリーズにも熱狂的なファンがついています。日本人がこよなく愛する武将の一人といっても過言ではありません。
 そんな彼が生きた時代には、西洋からたくさんの品々が伝来しました。お菓子もその一つ。1549年にスペイン人の宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸してからというもの、多くの宣教師や貿易商人たちが日本を訪れ、時の権力者にお菓子を始めとする西洋の品々をたくさん献上したのです。カステラや金平糖は、こうした南蛮菓子の代表ですが、ほかにもボーロやビスカウト(ビスケット)、タルトなどさまざまな菓子が渡来しました。
ポルトガル生まれのチーズケーキ、ケジャト
 1559年に、ポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスが二条城に織田信長を訪ねた際、フラスコ入りの金平糖やろうそくなどを献上したという記録が残っています。西洋文化に強い関心を持っていた織田信長はこの珍しい品々をことのほか喜んだようです。フロイスが日本についてまとめた書は、「完訳フロイス日本史」をはじめ、中央公論新社から多数刊行されていますから、一読すると、織田信長の見方が変わるかもしれませんね。
 今回、吉田先生に作っていただいたケジャトも、南蛮菓子の一つです。長崎の天文学者、西川如見は著書の「長崎夜話草」の中で、いくつかの南蛮菓子を紹介していますが、その書によれば、ケジャトとはチーズケーキを指していたとか。
 しかし、日本の和菓子の世界で生き続けた金平糖やカステラと異なり、ケジャトはその後、日本の菓子の世界から姿を消してしまいました。ギリシャ時代に生まれたとされ、長い歴史を持つチーズケーキも、チーズ自体になじみがなかった当時の日本人にとっては、あくまでも単なる「異国のユニークな菓子」だったのかもしれません。 
 織田信長がケジャトを食べたという記録は残っていませんが、好奇心旺盛で、新しいモノ好き、楽市楽座を開いたり、関所を廃止するなど、当時としては革新的な制度や事業を次々に導入し、戦場では南蛮鎧やビロードマントを身に付けていたほど「南蛮好き」ですから、もしかしたら積極的にケジャトを口にほおばっていたーー。なんて考えると、現代版ケジャト作りはよりいっそう楽しくなりそうです。